岩山を割った桜の木を見ることができる桜岩地蔵堂は『縁切祈願』のお堂としても知られています。この地蔵堂には「桜岩地蔵尊」と「丁杭(ちょうぐい)観音」が祭られています。お堂の中には地蔵菩薩が、そのお堂を囲むように、100体の観世音菩薩が並んでいます。以前は栗平にあった起点観音も地蔵堂の右手に安置されています。
地蔵菩薩とは、現実界と冥界の間に立ち冥界へいく者を救う仏として、また村境に立って土地の守り神とされています。一方、観世音菩薩(観音)は、集住の現実世界において遭遇するあらゆる災難と苦難がただ菩薩の名を称えるだけで即座に救われるといわれています。桜岩地蔵はもともとは狩宿村の人たちが寛延3年(1750年)に砂塚にお堂を建てて祭った者ではないかといわれています。その後紆余曲折があり、大正時代に草軽電鉄が現在の場所に移したものです。草軽電鉄は大正6年に吾妻まで開通しているので、現在の位置に地蔵菩薩を祭ったのは大正6年以降になるようです。
丁杭観音は、文化5年(1808年)に、分去り茶屋の助四郎という人が、一面焼け野原だった場所に、往来の人々の道案内をつくりたいと発案し、近在の有志や商店などに呼びかけて賛同者を募り、祭ったものです。当時砂塚橋の上にあった『分去り茶屋』を起点に、沓掛道、大笹道、狩宿道へそれぞれ33体ずつ、起点観音を加えて、100体1丁(町=109.09㍍)ごとに祭ったといわれています。その後、散り散りとなっていた観音を、川口・柾・安斉・黒岩・布施さんなどの尽力で34体が集められ、残りについては新たに寄進者を募り、100体の観音石仏として祭られています。
『桜岩』の由来は南北の二つの岩山に桜の大木があることから名づけられました。南側の一本は枯れたために伐採されましたが、残った1本は残っています。ぜひ一度訪れてみてください。