北軽井沢パワースポット巡り 1

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「縁結び」の合体木 応桑諏訪神社

「合体木」のある『応桑諏訪神社』は、応桑新田に鎮座する神社です。狩宿関所跡、応桑小学校の隣にあり、境内には古木が多くそびえています。祭神は諏訪神社の2柱大神の「建御名方命(たけみなかたのみこと)」とその妻「八坂刀売命(やさかとめのかみ)」。また、配祀(一緒に祭られている神)として「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」が合祀されています。この倉稲魂命は、「穀物、農耕の神、稲荷神」のことです。明治10年に合祀されました。

 また、境内には、神明宮、琴平社、鹿島社、浅間社、八坂社、八幡社、菅原社、飯綱社、水波能売社、雷電社、三峰社、愛宕社、秋葉神社など多くの神社が合祀されています。本殿の両脇には立派な杉がそびえています。むかって右手の杉の木と隣のケヤキが合体していることから、縁結びの神社と呼ばれるようになったようです。(詳細は本文)。

元秋元氏別荘の社務所

 また、応桑諏訪神社の社務所(境内左手の建物)は、館林旧藩主、秋元氏の別荘を移築したもので、大正時代につくられた別荘だと言われています。館林藩といえば、浅間山麓の最初の開拓、御所平の館林旧藩士の入植が思い起こされます。これは、明治維新によって職を失った武士の救済策として行ったもので、旧館林藩(群馬県邑楽郡)の藩士12戸が、応桑御所平に開拓移民として入植しました。この入植した12戸の内、厳しい環境での開墾・営農に耐え切れず10戸が脱落し、2戸(倉田家・山下家)のみがとどまり、開拓農家としての基礎を築きあげました。また、この12戸のうち、1戸(藤川家)は応桑字田通地内にとどまり、農家となりました。

 応桑諏訪神社の氏子は、この御所平、田通なども含む、応桑一円といわれています。