北軽井沢パワースポット巡り 1

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北軽井沢の祖を奉る 牧宮神社

 北軽井沢開発の祖といえば、北白川宮能久親王の名があがります。1882年(明治15年)に、現在の浅間牧場を含む広大な牧場開発に着手し、荒地を農場に変え、北軽井沢の発展の基礎を築きあげました。

 牧宮神社はこの北白川親王を祭った神社です。神社の前身は1933年(昭和8年)、伏見稲荷神社を迎えたことにはじまります。その後、1947年(昭和22年)に、北白川宮能久親王、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)の霊を迎え、神社名も北白川親王にちなんだ『牧宮(まきのみや)神社』へと改称しました。

 北白川宮は、陸軍軍人として多大な功績のあった方で、日清戦争の時に台湾に出兵し、現地で病気にかかり薨去(こうきょ)されました。その武勲を讃え、現地台北には宮を祭った台湾神社(台湾神宮)、終焉の地には台南神社が創建されました。敗戦後、台湾にあったこれらの神社はすべて廃社となりました。当時の氏子総代と神官が協議の上、北軽井沢の地に御霊をお迎えし、北白川宮の遺徳を永く偲ぼうとしたものです。

めずらしい金属製の鳥居

 牧宮神社の本殿は現代では珍しい茅葺(かやぶき)です。かつては、狩宿諏訪神社も茅ぶきでしたが、今は銅版屋根にふきかえられています。この神社の建築は当時の大工棟梁、川口徳三郎氏が約1年をかけて竣工したものです。また、珍しい金属製の鳥居は、黒田工業(株)の寄進によるもので、土地整地、屋根茅材料その他の雑役また備品等は氏子の奉仕と寄付によるものです。ここ数年町内でもすっかり減ってきた茅葺の建物、維持、葺き替えにはかなりの経費がかかるといわれています。北軽井沢の興隆を見守ってきた神社だけに、茅葺を次代まで伝えてほしいものです。氏子は北軽井沢一円といわれています。