北軽井沢パワースポット巡り 1

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源頼朝の狩に由来する? 狩宿諏訪神社

狩宿諏訪神社 鳥居

 浅間高原(北軽井沢地区・応桑地区など)で、もっとも古くからあるのではないかといわれているのが、狩宿諏訪神社です。言い伝えによると、この狩宿諏訪神社のある狩宿(かりやど)という地名は、建久年間(1190年~1199年)の源頼朝の『浅間野狩』の際、狩の本陣をここに置いたことから名づけられたといわれています(上野伝説雑記など)。その狩の時に、高原の濃霧に覆われ数日狩ができなかったために、軍神であり、狩猟の守護神である諏訪大明神を祭り、霧の晴れるのを祈願したことが始まりといわれています。

 祭神は諏訪神社の大神の「建御名方命(たけみなかたのみこと)」と不老長生の神といわれる「磐長比売命(いわながひめ)」。磐長比売命は、近年の合祀といわれています(*磐長比売命を単独で祭っている神社は少ないようです。なぜ、磐長比売命を合祀することとなったのか、事情をご存知の方はご連絡をいただけると幸いです)。 また、境内には、十二神社、金毘羅神社、稲荷神社、厳島神社、飯綱神社、遠近神社などがあります。

 この神社の歴史を示す古文書として、1686年(貞享3年)の徳川家御検地の検地帳の中に、狩宿村の本社としての記載があります。現在は応桑の小字狩宿となっていますが、江戸時代は『狩宿関所』『狩宿本陣』に名を残すように、今の応桑は『狩宿新田』と呼ばれ、狩宿村の新田だったといわれています。

 狩宿諏訪神社の氏子は初めの内はわずか17戸だったと伝えられていますが、その後狩宿、応桑の部落が拡大するにつれ、氏子を増やしていきました。約50年ほど前には、春・秋の祭りでは、周辺の神社で一番大きなお祭りを行い、向かって右手の神楽殿の周辺に屋台が並び、氏子たちで賑わいました。現在、氏子は狩宿一円といわれています。

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