ミュージックホール略年表

1955年(昭和30年)7月 桐朋学園オーケストラが北軽井沢での夏期合宿を開始する。
1964年(昭和39年)7月 桐朋弦楽合奏団(高校生と大学生で構成)初のアメリカ演奏旅行へ出発。
ロサンゼルス、ニューヨークなどの3週間の公演で大絶賛を受ける。
1964年(昭和39年)9月 ミュージックホール設立の構想が始まる。
1965年(昭和40年)9月 ミュージックホール設立のためのチャリティーコンサートを開催する。
堤剛弘中孝、久保洋子と成城合唱団によるコンサート)。
1966年(昭和41年)12月 ミュージックホール設立のためのチャリティーコンサートを開催する。
小澤征爾氏指揮、"成城大学立教大学との学生オーケストラコンサート。
1967年(昭和42年)7月 北軽井沢ミュージックホール(第一期工事) が完成する。(分奏室4室、
管理人室、応接室、調理室、浴室の8室)
1967年(昭和42年)7月 北軽井沢ミュージックホールに財団法人の認可が降りる。理事長斎藤秀雄氏。
1967年(昭和42年)8月 北軽井沢ミュージックホールの使用を開始する。
1968年(昭和43年)6月 ミュージックホール第2期工事が完成する。(大ホール)
1968年(昭和43年)8月 北軽井沢ミュージックホールこけら落しを行う。桐朋学園オーケストラに
よる祝賀演奏会。指揮は斎藤秀雄氏の弟子、秋山和慶氏。
1969年(昭和44年)4月 ミュージックホール第3期工事が完成する。(宿舎、調理室増設)
1970年(昭和45年)3月 第4期工事のために、隣接地を購入する。
1970年(昭和45年)6月 ミュージックホール第4期工事が完成する。(食事室兼小ホール、分奏
室(F・G室)、個人レッスン館(H))。
1970年(昭和45年)9月 桐朋オーケストラが初のヨーロッパ演奏旅行に出発する。約2ヶ月余りの
日程で、モスクワからウィーン、ロンドン、パリなどの各地で公演し、
大成功を収め、日本人演奏家のヨーロッパ活躍の礎を築いた。この
公演旅行のための合宿が、北軽井沢ミュジックホールで行われた。
1974年(昭和49年)9月 斎藤秀雄氏が逝去する。享年72歳。
1982年(昭和57年)9月 北軽井沢ミュージックホール理事、田中泰雄氏より、町へ土地・施設を寄
付したいとの申し出がある。
1982年(昭和57年)9月 北軽井沢ミュージックホール寄付の件を町議会で協議する。
1983年(昭和58年)1月 財団法人北軽井沢ミュージックホール(理事長:小澤征爾氏)より、長野
原町へ施設(土地・建物等)が寄贈される。
1983年(昭和58年)2月 長野原町で北軽井沢ミュージックホール運営委員会を設置し、管理運営
規約を定める。
1983年(昭和58年)4月 長野原町営北軽井沢ミュージックホールの運営を開始する。
1983年(昭和58年)7月 外山準氏(とやまひとし・当時:東京芸術大学・同大付属高校講師)と
長野原町が『クラシック音楽の夕べ』第1回を開催する。現在まで
毎年行われている演奏会。
1997年(平成9年) 8月 北軽井沢大学村の作詞作曲家、寺島尚彦氏らの協力を受け、北軽井沢区
主催の第1回『区民コンサート』が開催される。(第8回まで継続)。
1998年(平成10年)5月 長野原町北軽井沢区が区民大学を開講する。(開講記念講演は谷川
俊太郎
氏)。
1998年(平成10年)8月 大学村七十年祭を、北軽井沢大学村組合と北軽井沢区が共催で開催する。
大江健三郎氏の講演、息子大江光氏のコンサートなどが開かれる)。
2003年(平成15年)8月 『クラシック音楽の夕べ』が、外山氏率いる「アマティ=ツイス室内合奏
団」から「(財)群馬交響楽団」へ移行する。
2004年(平成16年)3月 寺島尚彦氏が逝去する。享年73歳。
2005年(平成17年)8月 北軽井沢ミュージックホール保存・改修のためのチャリティーコンサート
を開催する。(チャールズ・ナイディックさんと大島文子さん夫妻)。
2005年(平成17年)8月 『区民コンサート』が『秋いちばんコンサート』へ移行する。寺島夕紗子
氏らの寺島氏御家族を中心にコンサートを継続する。
2006年(平成18年)9月 長野原町が北軽井沢ミュージックホールの改修工事に着手する。
2006年(平成18年)9月 ホールの維持・管理・運営を支えるために、北軽井沢ミュージックホール
サポーターズ
が結成される。
2007年(平成19年)7月 ミュージックホールの一部改修が終わり、リニューアルオープンする。
2007年(平成19年)7月 北軽井沢ミュージックホールフェスティバルを開催する。
2008年(平成20年)7月 北軽井沢ミュージックホールフェスティバル実行委員会を設立する。

北軽井沢ミュージックホール