十年後の北軽井沢・応桑と私
西中学校 女子
◎十年後北軽井沢・応桑はどうなっている
十年後も、今と変らず、みんなが楽しく、住めればいいとおもっています。お年よりと若人と子供、全員が協力しあっていれば、これからもっといいところになるとおもいます。ちょっと無理かもだけど、十年後、応桑に電車があればなと思います。その理由は、だれもがかんたんに、乗れるからです。車のめんきょや車をもっていないお年よりや子供が自由に町をいききできるようになれば、べんりです。あと、高校などにも、まいにちお父さんやお母さんなどに、長野原までおくってもらわなくても、応桑に駅があれば自転車でいけます。または、とほで行けます。そっちそほうが車からでる二酸化炭素が、へります。地球温暖化にもつながります。電車がふえれば、車に乗るき会がふえて、たくさんの二酸化炭素がさくげんできるかもしれません。私
は、そのほうが、応桑のかっせい化と地球温暖化たいさくにつながると思います。あと、道がもっときれいになっていればとおもいます。私たち西中生は、さわやか街道クリーンアップ(ゴミ捨い)をしています。毎年毎年、すごい量のゴミがあります。テレビがあったり、イスがあったりです。なかでも多いいのがタバコのすいがらやペットボトルや、ジュースやコーヒーのかんでした。毎年捨うのにいつもたくさんあります。だから十年後は、ゴミなどがない、キレイな応桑であってほしいと思います。
◎十年後の私はどこにいて、何をしている
十年後といえば、私は二十四さいです。十年後なんて考えたことないからわからないけど、将来の夢をかなえるには、町にいかないとなれないので、応桑にはいないとおもいます。もし応桑にいるとしたら、長野原とかではたらくか、農業などをしていると思います。